Studying Medicine in Hungary
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ハンガリーの医学生。医学の道を歩みながら、28歳でブログを始めた理由。

イントロ

よーなぽっと!

初めまして!ゆーじーんです。

2023年、2月中旬。医学部6年生の終わりにふと…「ブログやろう!」と思い立った経緯をお伝えします。

人生は「選択の連続」ですよね。

人は1日に数千回も何かを「選んでる」と言われています。

私は28年間、色々な選択をしてきました。皆さんもそうだと思います。

ここでは、私の生い立ちと今に至るまでの経験を振り返りながら

ブログをはじめるきっかけとなった「これまで選択してきたこと」

をお伝えしながら

私が何を目指して「これから何を選ぶか」

を綴ろうと思います。

医療一家に生まれ落ちる

私は、医師である父と薬剤師であった母のもとに、4番目の長男として生を受けました。

大きくなるにつれて、姉の二人も看護師となり、今では私も医学生なので、医療一家の出来上がりです。

私は小さい頃から普通の子で、特別頭がいいわけではありませんでした。

しかし、私が小さい頃からなりたかった夢は「医師」でした。

理由はやはり、父の背中の影響が強かったからでしょう。

もともと、誰かのお手伝いをすることが好きだったので、医者を選んだ気もします。

ただ今思えば、世の中にはどんな仕事があるのかさえ、当時はよく分かっていなかったと思います。

今でさえ、

こんな仕事があるのか!

と驚かされることがしばしばあるからです。

末っ子としてマイペースなところはあれど、私が「誰かのために行動する」活力の源は

3人の姉から受けた影響があると思います。

母からは「質素に生きること」を学びました。いい意味でケチでした。笑

医療一家なんだから、お金持ちじゃんと思うかもしれません。

もちろん何不自由なく、生活してこれたのは両親のおかげと思っていますが

だからと言って、優雅な生活を送っていたわけではありません。

両親は質素な生活を好み、私たち、子どもたちもそのように育っていきました。

ただ、私は「末っ子」で姉たちと年代が離れていたり、両親にも余裕ができたのか

姉たち「弟(ゆーじーん)はだいぶ甘やかされてきた」とに不平をよく漏らされたものです。笑

小さい頃から自分の好きなことには熱中して、嫌なことにはあまり手をつけないような幼少期を過ごしてきた気がします。

今でもよく覚えているのは

負けず嫌いだったりカッコよく思われたいがために、好きなことや熱中していることに関しては、時間を惜しまなかったことです。

なので、サッカーや卓球、ピアノといった趣味が今でも続いています。

クリスチャンであるということ

これも、今の自分の「性格」や「人格」を形成する上で、切り離すことのできない要素です。

私は生まれた時から今に至るまで、「末日生徒イエスキリスト教会」と言うキリスト教に通っています。

ここで受けた「キリストの教え」の中でも一番好きなのが

新約聖書にある

「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。」(マタイによる福音書7:13)

という聖句です。

これをよく、「人からして欲しくないことは、自分もしない」と逆の意味で用いられることがあるのですが

この大きな違いは、自分がアクションを起こすか否かにかかっています。

なので私は自分だったら「手伝ってほしい」「助けてほしい」「教えてほしい」などと思うことを他の人に率先して行うように努めてきました。

自己満と言われればそれまでですが、それが私のやりがいでもありましたし、心が温かくなる機会のひとつでした。

なので、誰かが何か「知りたい」と思うことがあれば「教えてあげたい」と思うようになり

SNSを始めとするブログが絶好のツールであることに徐々に気づいていきます。

もちろん、まだ人生の途中でまだまだ未熟なところが多いため、自分のために活動することもしばしばあります。

これは一例にしか過ぎませんが

「キリストの教え」が自分の人生のコンパスであることは間違いありません。

人生における転機期

医学部受験の大きな壁

ご存じのように、日本は屈指の受験大国です。そして学歴大国でもあります。

その中でも、医学部は難関大学であり、受験を制する者たちだけが医師になる道への切符を手に入れられる実力主義者たちの集まりです。

私は「人のためにやりがいのある仕事」として

中学2年生ごろから本格的に「医師」を目指すようになりました。

高校受験はギリギリ地元のいい高校に行くことができました。

しかし出来のいい生徒ではなかったので、現役での医学部受験に落ちてしまいました。

理由は、勉強不足です。特に勉強の仕方が良くなかったかもしれません。

そこで浪人が決まった私は、ある大きな決断をします。

関西で2年間の布教活動

それはクリスチャンとして「伝道に出る」ことです。(伝道=布教活動=宣教活動)

私が通う教会では、18歳以上の男女が任意で布教活動に携わる特権があります。

私は、これまで受けてきた「キリストの教え」がいいものだと知っていたので

「知らない人たちに伝えたい!」

と思い2年間の伝道を決意しました。

そこで私は、訓練のために2週間アメリカのユタ州へ行き、関西へ舞い戻ってきます。

伝道中での生活は、同性の同僚が与えられ、二人一組で24時間行動を共にします。

2年の間、6週間毎に転勤の発表があるのですが、毎回というわけではなく時々、同僚が変わるイベントがあります。

私は2年間で11人の同僚と伝道する機会がありました。

この内、アメリカ人が6人、オーストラリア人が1人という感じだったので

英語を使って生活する日も増え、だいぶ英語を上達することができました。

伝道中の主な活動内容としては

「キリストの教えを宣べ伝え、教えること」です。

「そして、人々がキリストの教えを日常で応用することができるよう、お手伝いすること」も含まれます。

時には街中で声をかけたり戸別訪問をしている最中に、罵倒されることや蹴られることもありました。(汗)

しかし興味を持ってくれた人には、数回に分けてレッスンをすることもしました。

口下手で少しシャイな私には初めは非常に辛い経験でしたが、時間が経つにつれ成長と共に、慣れていきました。

成功する秘訣とは何か学ぶ

成功とはそもそも何かということにもよるのですが、

少なくとも巷で言われているような、「成功するための習慣」的なことをここでは話します。

何事においても共通することですが、「目標設定」と「計画を立てること」の重要さを伝道中に実感しました。

こういった経験から、勉強する際の勉強計画とその効率がとても上がりました。

宣教師として目的ははっきりしていたので

同僚と頻繁に目標を数値化したり、具体的な計画を立てたりして2年間を過ごしました。

最も重要なのが人を対象としていたので、目標化された数値は単なる「数」ではなく「人」として考えることでした。

あれほど他の人のために考えて生活した2年間は他にありませんでした。

こうして、私は2年間の布教活動を終えて地元に帰ることになります。

今度は自分のことを考えなければいけないのでした。それはつまり、自分の進路を切り開いていくということです。

伝道に出る以前と同じように、医師になりたいという気持ちがまだありました。

なので2年間の布教活動を終えて実家に帰還してすぐ、日本の医学部を目指して受験勉強を開始しました。

しかし、帰還後から受験まで4、5ヶ月しかなかったので

2年間の知識のギャップを埋めることは絶望的に感じられました。

結果的にセンター試験でボーダーにすら及ばず、日本の医学部への切符は手に届きませんでした。

ヨーロッパ留学を決意

そこで途方に暮れた私は、医者ではない道を選ぶことも考えました。

「教育学部を受けて先生になろうかな」

なんてことも考えたりしました。

「結局自分には医学部に行けるほどの頭はないんだ。日本の医学部は難しすぎる。」

と絶望した時に、ある希望の光がさしました。

海外の医学部ならどうだろうか?

と調べた結果、

期間的にもまだ間に合うし、何より受験がとても易しく、英語が受験審査における主要科目だったハンガリー医科大学を見つけました。

ハンガリー医科大学の【評判がやばい】本当?
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私は伝道中に培った英語を武器にできると思い、すぐにこのハンガリー医科大学の門をたたきました。

幸いにも、予備コースの合格が決まりハンガリーへ渡航することが決まりました。

海外医学部を調べる日まで、ハンガリーの正確な位置や首都さえも知らなかった私が

留学を決意できたのは

「両親の金銭的サポート」

「これまで培ってきた努力」

そして「偶然と思えるきっかけ」のおかげでした。

こうして、ゆーじーんはハンガリーへ旅立つこととなります。

留学中のチャレンジ

ハンガリーに渡航して待ち受けていた困難がありました。

分かりきっていたことですが、「海外での一人暮らし」「医学部の勉強」です。

海外での一人暮らし

2年間の伝道中に、ある程度自立した生活を送ることには慣れていたのですが

ハンガリーとなると全く言葉もわからず、日用製品や食材といった必需品を揃えたりするのも精一杯でした。

食材もスーパーに行ってそれっぽいやつを買うと

中身が思ったのと全然違ったりすることもしばしばありました。笑

店員さんに探し物を聞こうと思っても、言葉がわからず伝わらないことも少なくありませんでした。

こうした経験から、「日本に帰りたい」という強い気持ちが芽生えたのを今でも覚えています。

ですが、そんなことも言ってられないので

頑張ってハンガリー語を勉強しハンガリー人の友達を作ったりして

ハンガリーの文化を十分に楽しめるように努力しました。

なので今では、めちゃくちゃハンガリーが大好きです。

医学部の勉強

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予備コース

1年目は予備コースというところから勉強が始まりました。

主に化学や生物、そして医療英語を学び、ハンガリー医科大学の受験に備えるためです。

なので、実際のところ「浪人状態」の様ではありましたが、ほとんどの人が大学へ進学できるので心配はほとんどありませんでした。

とはいっても、全てを英語で勉強するのは初めてだったので、授業について行くのも必死でした。

本コース受験は、マーク式の筆記と口頭試問による試験でした。

緊張しましたが、無事に医学部生への切符を獲得しました。

そして、ずっと学びたかった医学の勉強がついに始まりました。

本コース(大学1年生〜)

巷でよく言われることですが、「海外の大学は入りやすいけど、卒業しにくい」

というのは真実です。

日本の医学部での留年や退学について頻繁に耳にすることはありませんが

ハンガリー医学部ではそれが当たり前でした。

何が大変かというと

もちろん英語という点もあるかもしれませんが、

覚える量が莫大という点と、口頭試問という試験形式です。

日本では多くが過去問を勉強して、筆記試験をテスト期間に受けるのがと一般的だと思います。

一方ハンガリーでは、進級するために口頭試問は避けて通れず、ごまかしが効きにくいので難関であると言えます。

なので、ぼんやりと勉強していると留年や退学が差し迫ってくるのです。

私も何度か留年しかけた学年があるのですが、なんとか踏ん張ってストレートで6年生までくることができました。

何度が前述しましたが

凡人の私がなぜここまでこれたのかというと、

「両親の経済的サポート」

「これまで培ってきた成功の秘訣」

「コミュニティーのサポート」

です。

こうしてハンガリーで医学を学び始めてから卒業まで、合計7年間が経とうとしていますが振り返るのは一瞬のことで、ハンガリーにきたのが昨日のことにように思えます。

「自立したい」という思いから、将来の生き方を模索

留学が決まった時から、私にはある強い思いがありました。

それは経済的にも自立するということです。

もちろん「両親の金銭的サポート」がありましたしそのことに深く感謝しています。

しかしながら、医学部で学ぶのには莫大な費用がかかるので「少しでも自立したい」という思いから、自分でもできることはしたいと思いました。

奨学金獲得のため猛勉強

【知らなきゃ大損!】ハンガリー政府奨学金
【マジでやばい!知らなきゃ損】ハンガリー政府の驚くべき奨学金についてハンガリー政府奨学金とは一体何か? ハンガリーで医学部を学ぶ生徒に大きな経済的支援を担っているこの奨学金について、わかりやすく説明します。 私自身の経験からアドバイスもしています。...

そのうちの1つは奨学金をを獲得することです。

ハンガリー医学部で学ぶ一つの大きなメリットとして

ハンガリー政府が行っているプログラムに「学費が免除になる」という驚くべきチャンスがあります。

なので、予備コースでの1年間と大学1年生の時に出来るだけ良い成績を取ろうと血眼で勉強しました。

その結果幸いにも、5年間の学費免除(約850万円)されました。

言い換えれば「約850万円を稼いだ」とも言えますね。

「頑張ったら結果が出た」ので、これは嬉しい経験となりました。

ネットビジネスに挑戦

こうして奨学金を獲得した私は、心の余裕ができたのですが

さらに別の「自立する方法」を私は探しました。それがネットビジネスです。

これは恥ずかしい話、失敗談です。

ハンガリーにいたら、バイトもできないので

オンラインでお小遣いを稼げる方法はないかと調べていたら、オンラインビジネスの存在を知りました。

そしてMLMというビジネスモデルを採用したオンラインビジネスに出会いました。

自分の力量を測る上でも、チャレンジしてみようと試しましたが

悲しいことに、報酬を受け取れるようになる程の成果はあげられず、そのビジネスはやめました。

「頑張っても成果が出なかった」ので、これは残念な経験となりました。

ただ、そこから得られたものも確かにありました。

それは情報発信能力を上げられたことです。

このビジネスをきっかけに私は自身のYouTubeチャンネルを開設しました。

次はYouTubeに挑戦

当時オンラインビジネスでサポートしてくださっていたリーダーが

「ゆーじーんくんは、ハンガリー在住っていう特別なブランドもあるし、YouTube始めたら?」

と提案してくれました。

実際、ハンガリー医学部の留学についての情報は(今でも少ないのですが)当時とても少なかったですし、YouTubeなら初期費用無料で気軽に始められるというメリットもあったので

自分が発信して、役に立つ情報を提供しよう!

そしてあわよくば収益化できたら嬉しい!

という気持ちで、早速YouTubeチャンネルを開設。

eugene_hungaryというチャンネルを開設

個人的に嬉しかったのは、約1年で500人の方がチャンネルを登録してくれたことです。

最初はハンガリーでの留学生活を発信していたのですが

段々とハンガリー医学部を目指す視聴者が増えていくにつれて

受験入試やハンガリーでのリアルな声を知りたいという要望が増えました。

そして、YouTubeを視聴してくれていた子たちが、実際にハンガリーに来て後輩となり

「とても助かりました!」

彼らの受験合格という成功報告が、私にとっても嬉しいものとなった瞬間でした。

大きな感動でした。

収益化の条件にはまだ達していませんが、約3年経った今では登録者1000人以上となりました。

この経験から、情報発信することのメリットとして

「お金を稼ぐためのツール」だけでなく「人とのつながり」もあると実感しました。

そこで初めて、ネットビジネスで失敗してよかったと思えました。笑

さらに次はブログに挑戦

YouTubeに留まらず、ブログを始めた理由はシンプルです。

より多くの情報を発信するために最適なツールだからです。

さらに、自分の情報をストック型として発信できるという強みが魅力的でした。

ブログもそれなりに収益化するには、ある程度のハードルがあると思います。

しかし、オンラインビジネスもYouTubeも挑戦した私を止める理由はもうありません。笑

失敗しようが、挑戦することが大事だと私は知っているからです。

勉強やオンラインビジネス、Youtubeに関してもそうだったように

何においても「挑戦すること」が人生では重要なのではないかと思います。

私が目指していること

「少しでも多くの人が、色々な事を、臆せず、諦めず、挑戦していって欲しい。」

冒頭でも触れましたが、人生は選択の連続です。私たちは毎日数千回の選択をしています。

挑戦することもある種の選択と言えるでしょう。

挑戦すれば「結果」が必ずついてきます。それは「失敗」か「成功」のどちらかかもしれません。

しかし挑戦しなければ、「結果」はでないのです。「失敗」も「成功」のどちらもありません。

じゃぁ「成功」したければ、挑戦するしかないですよね。

こうして「小さな選び」の積み重ねが、最終的な結果を産むのです。

言い換えれば、「選ばないこと」を選んでいくと、最終的に結果を産むことはないのです。

なので

今回、私は「ブログに挑戦する」という選択をすることにしました。

失敗もするかもしれませんが、成功するかもしれません。

ブログに限らず、

実際に私のこれまでの選びによってそれを実感してきたので、

「少しでも多くの人が、色々な事を、臆せず、諦めず、挑戦していって欲しい。」

それが私の目指すことです。

「あなた」は、今この瞬間から何を選びますか?

その答えになるような、きっかけを私はこれから「あなた」にお届けできたらと思います。

そして、「あなた」が同様に周りの人のきっかけになると言ったように

いい連鎖を生むことができれば、なお嬉しいです。

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